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気ままな生活

映画、音楽、読書、美術、旅行、食などの生活。

嘔吐

意識と存在。
自由と孤独。
生活と冒険、完璧な瞬間。

サルトルだったけど、30直前の身にはすべてのテーマが突き刺さる思いで楽しく読めた。。
今天涯孤独の身だったらスーサイドダイビングしかねない程にグサグサ来た。

存在と眼に映る「物」についてしつこいぐらい描写し続けるため、慣れるまでは平坦で退屈な間が続くけど、何も起こらない日常の徹底的な描写こそが物語の核心に迫る手法なのだと気付くのは難解ではない。

主人公であるロカンタンは自由で孤独な身だ。何にも縛られない自由な生活、しかし誰とも確かな繋がりを感じられない孤独な生活。

彼はかつて世界中を旅したことがあり、その非日常な期間を「冒険」と呼んだ。彼は「冒険」を人に語り継ぐことを愉快だと思っていた時期もあったが、「冒険」とはつまり、今現在に存在している自分の生活とは完全に切り離されているに過ぎないことに気付く。

今、人が「している」ことよりも、何を「していた」かが大事だ。過去こそが、冷静に判断を下し、評価することができる唯一の事象だから。

しかし過去は過去、今は今だ。かつて持っていた熱情を失い、無機質な「物」に囲まれながたロカンタンは眼に映る風景に「吐き気」を催していく。
「意識」を意識しないために陥っていくパラドックス的な描写は面白い。

そして、合わせ鏡のような元カノ、アニーとの再会が本作のクライマックスとなる。
彼女もかつて、人生に「完璧な瞬間」を追い求め、諦めて絶望した人間だった。
「死」やセックスこそがその瞬間だと憧れた彼女だが、いくら演技をしてみても、人生には人為的には「完璧な瞬間」は訪れないのだ。

あれだけ追い求めたどの「完璧な瞬間」も生活と地続きになっていることに気付いた彼女は大人になり、若くしてすっかり余生を過ごす人」 となってしまった。
彼らは全く似た者同士だと気付きながら、同族嫌悪にも似た「吐き気」からか、ともに時間を過ごすことはできない。女の方からしたたかに去っていく。

そんな彼に唯一の生きる渇望を与えたのが、レコードから生まれる音楽だった。終わりなく無意味に流れる「今日」と違い、レコードには針の始点と終点がある。
その癖、レコードから流れてくる歌は不変の存在だ。時間の流れを断ち切り、過去から現代へ介入する。

そんな「存在」を超えた永遠を求めるために、ロカンタンは取り掛かっていた本を完成させることを決意する。書物もまた人から人へと受け継がれる、歴史の生き証人なのだから。



に匹敵するほどの自意識拗らせ系と思いきや、これほどまでに起承転結がはっきりした小説だとは。

上記2作はただ自意識と問答を繰り返してるだけで話が終わるから面白いんだけど、この嘔吐は他者にもその繋がりにもちゃんと向かい合い、「吐き気」と称する厨二病をも克服して、最後はしっかりと人生における自分の役割を見出し、全うしようとする姿が本当に素晴らしい。

読み初めからは全く考えられないような見事な終着点、ハッピーエンドかと。
その終幕に向かうためのキーが音楽というところもとても好きだ。

結局のところ、人は孤独では生きることが出来ない。それはいかに科学がインターネットが進歩しようと同じことです。人との距離感、孤独感を縮められなければ人生は長すぎる。
一人で孤独を埋められなければ人生において何かを残すべきだ、誰かとの繋がりを感じていられるから。

この現代において生きる意味や孤独と闘う特に30前後の人たちには必読書と言えるでしょう、人生そのものに置き換えてもいいほどの名著でした。