気ままな生活

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Twitter

最近、園子温Twitterで発狂してたけどちょっと分かるな。

 

Twitterが自己顕示欲の墓場なのはTwitter始めた7年前から変わってないけど、自分自身が変わってしまって、そういう承認欲求の塊であること、そこに自分も飲み込まれている気持ち悪さに耐えられなくなる時が増えた。

 

前も書いたけど、これは世代間の違いなのかな。

 

2000年前後のインターネットとは「趣味」そのものだった。

趣味でネットするし、話題も趣味のことだらけという「仮想空間」。

人生の暇つぶしのためのツールで、そこに生活を曝け出すとか密着させるとか考えられなかった。

TwitterSNSそのものに意味を持たせるなんて考えも及ばなかった。

 

でもその頃とはインターネットの意味合いが変わってきてて、これは年寄りの考え方なんだな。

 

それでもTwitterやめられないのはなんでかって言うと、Twitter上で知り合って実際にお会いした人達と繋がっていたいから、に尽きる。

 

先日もはじめてのフォロワーさんにお会いして、それはネットなしの日常では決して出会うことのなかったであろう、しかし出会うべくして出会ったような素敵な出会いだった。

 

Twitterからリアルで知り合った方々との関係は不思議だ。実生活のことは何も知らない、なんなら顔も実名も朧げなのに、何を考えてるのかは何となく分かる節がある。喜びや悲しみを共有できる可能性に満ち溢れている。

 

すべてを知る必要は勿論ない、だけど出会った方々の生活を少しでも、元気でいるかどうかを知りたいから、そう言う意味では、SNSに生活を密着させる意味は確かにあったのだ。

 

もしもTwitterそれ自身に意味があるとしたら、それは「願い」だな。

Twitterを通して知り合った方々が満ち足りた生活を送りますように。それを追っていたい繋がっていたい。そんな願い。